愛を育んだ伝承
白滝さんの少しだけ奥まったところには、三笠塚という古く小さな石碑が建っています。
「しらたきへ
願を愛にとりなして
みずの沫になさず守らん」
これは、この白滝さんに隠れ住んだ禅僧が、死別したばかりの伴侶のために詠んだ句です。
現代語に訳すと、
「白滝への願いは愛に変えて
水の飛沫(しぶき)としてしまうことなく
(あなたを)守り続けましょう」
という意味が近いでしょうか。
江戸の末期、里登(さと)という娘が、鳥羽の離島にあった禅寺の僧と恋に落ちました。
しかしそれは周囲から認められる恋路ではなかったために、二人は厳しい中傷にさらされてしまいます。
そうして、禅僧は寺にいることが叶わなくなり、追放に近い形でこの行者山(※1)としての白滝さんに移り住むようになりました。
一方、周囲から反対をされていた里登もまた、その恋心をおさえ難く、自らもまた村を捨て、禅僧を追って、この白滝さんへと移り住みました。
それから五十余年、二人は世俗を離れ、ここに小さな庵を建て、白滝さんのご加護を受けながら、里登が人生を終えるまで暮らしたとされています。
ご紹介した句は、禅僧によって里登が亡くなったときに詠まれたものです。享年七十二歳でした。(※2)
もうほとんどかすれて読むことはできませんが、
安置されている三笠塚(里登の墓)でこの句を見ることができます。
里登の葬儀は、禅僧によって静かに執り行われました。(※3)
「あなたを守り続けましょう」
この言葉の通り、里登を想う禅僧はその後も、里登と里登の眠るこの地を守り続けました。
禅僧の名前は分かりません。ただ伝承では、彼によって詠まれたこの句の通り、里登と暮らし、そして白滝さんで誰にも知られず亡くなった一人の男性がいた、というお話が残っています。(※4)
(※1)ぎょうじゃやま。修行者が修行をした山
(※2)当時、女性の寿命は平均38歳くらい
(※3)船津町にある白言寺保管の葬儀帳に里登の記録が残っています
(※4)伝承では、その禅僧はそれは大変な美男子だったと言われています